当サイトをご覧いただきまして誠にありがとうございます。
管理人の「ゆう」と申します。
当サイトでは、北海道や田舎暮らしの良さ、また音楽家としての生活方法を、
YoutubeやTwitter、ブログを通じて記事にしてまいりますので、
何か1つでもみなさまの参考になりますと嬉しいです。
それでは、まずは私自身のプロフィールをご紹介します。
私は北海道で生まれ育ち上京、プロの打楽器演奏家を経験のち音楽業界の裏方に携わり、現在では北海道へ移住(Uターン)をして生活しております。
生まれと育ち
北海道の真ん中近くで生まれ、東のほうで育ちました。
「道央」は、地理的に北海道の中心を指す言葉ではなく、札幌市などが該当するため、どちらかと言えば「道北」寄りになります。
寒いのが苦手で、冬が来るたび、雪が降るたびにうんざりしていた毎日でした。
音楽・打楽器との出会い
小さい頃から自他認めるほど運動音痴でこれといった特技もなかった私ですが、中学校の部活動見学で吹奏楽のめっちゃかわいい先輩に声をかけられたのが音楽との出会いでした。
音楽や吹奏楽に対して経験も興味もありませんでしたが、当時のテレビ番組では、ウッチャンナンチャンの南原清隆さんや武田真治さん(←めちゃイケのせいで芸人かと思っていました笑)がサックスをかっこよく吹いていたので、これならモテるだろうという不純な動機により入部しました。
サックス志望だったものの、マウスピースで音が出せない、五線譜が全く読めないという散々な結果で部活を辞めようと思いましたが、パーカッションパートの人手が足りないとのことでとりあえず転向してみてはとのこと。
これが打楽器との出会いで、人生のターニングポイントになりました。
楽譜を見ても音程が無い。リズムだけでいい。こんな簡単が楽器があるのかと思ったのが第一印象でした。
また、生まれて初めて触ったドラムセットでは、楽譜の読み方が分かりませんでしたが、一度聞いただけでリズムパターンを演奏することが出来ました。
勉強も運動も苦手な私にも出来ることがあると涙が出るほど嬉しかったのが今でも覚えております。
就職と音楽の選択から上京へ
中学を卒業後、高校でも吹奏楽を続けてました。
しかし、我が家は裕福な暮らしではなかったため、高校を卒業後は就職するつもりでしたため、資格取得のための補講や検定受験、またアルバイトが理由で、部活にはあまり参加出来なくなりました。
短い時間のなかでも私なりに考えて練習を続けていたため、演奏はある程度先生にも認められていましたが、部活の出席率が低いことで先輩と対立を繰り返していました。
音楽が好きなことは誰にも譲れなかったため、卒業後は楽器店の就職を目標にしておりましたが、打楽器の先生に演奏を褒められたことで調子に乗ってしまった私は、東京の音楽学校へ通うため上京することを決意してしまいました。
今となっても正確な理由がよく思い出せません…。
音楽学校と東京の生活
裕福ではない我が家では、お金を出すことが難しいということで、奨学金という名の大量の借金をして、またアルバイトを頑張るということで上京が認められました。
学校では、音楽の授業、空き時間に楽器の練習をしながら、それ以外は週3のコンビニ夜勤と単発アルバイトで毎月15万円ほど稼いでおりましたが、家賃や光熱費を払い、食費を切り詰めて、余ったお金で楽器や消耗品、楽譜など買いました。
学生生活は2年間でしたが、最も辛く大変な経験を過ごしたおかげで、今となってもこれより大変なことは無いと思いながら生きております。
奨学金というなの借金を背負ったため、何としてもプロの音楽家にならなければならないという責任感が生まれ、2年生のころに公務員の音楽隊に現役合格をしました。
演奏家としての活動に疑問
公務員音楽隊の演奏家になった私ですが、人生で最も辛く大変な学生時代を経験したことで、物足りなさを感じてしまいました。
演奏のミスも公務員のため解雇がない。
120点ではなく毎日70-80点固定の演奏をするよう言われる。
演奏が【上手な年下 】より【下手な年上】のほうが偉そうにしている。
(いわゆる年功序列)
演奏や音楽が全然楽しくない。
そんな生活に対して疑問を思うことが増えてしまい、演奏家としてのモチベーションが保てなくなり、結果として公務員を辞めることにしました。
音楽の裏方業務に熱中するが…
公務員を辞めてしまった私ですが、東京都の隣県の音楽事務所から誘われ転職しました。
演奏家ではなく、裏方中心の業務です。
演奏することしか知らなかった私には、裏方業務は刺激的で仕事が楽しくて面白くてたまりませんでした。
もちろん普通の企業でしたので、お金の流れにも敏感になり、どのように稼ぐかなど毎日勉強の繰り返し。
音楽も含めたサービス業は、皆の遊びが仕事になりますため、土日祝日はイベントの実務、また平日は事務作業により、冗談ではなく1年365日働いていました。(年末年始もカウントダウンやニューイヤーコンサートが多数あります。)
休みがなくても、とにかく仕事が楽しくて仕方がありませんでしたが、体というものは正直でした。
疲れが全く抜けない。(疲れに慣れてしまう。)
健康診断の数値が悪化し続ける。
高額な給料が医療費に消えていく。
そんな生活を続けていた結果、30代前半に意識不明で倒れたことでドクターストップで入院してしまいました。
入院中も私がいなければ回らない現場の仕事があったため、無理を続けてしまったことで半年も入退院を繰り返し、何のために生きているか分からなくなりました。
東京についての心境の変化
激務の前職を辞め、体調を戻すために東京都の会社へ転職しました。
週休完全2日
1日の労働時間7.5時間(残業禁止)
仕事と内容も面白いうえ、仕事の楽さで少しずつ体調も良くなりました。
しかし、残業が出来ないことで業務量に限界があり、思ったように会社の業績に貢献出来ず、東京都で生活するには、給料の低さに悩み、お金に困る毎日でした。
その頃から、東京都の生活について考えることが多くなりました。
満員電車の人の多さ
普段からの道路渋滞
都会の喧騒
花粉症
仕事が楽しいからといえ我慢をして生き続ける理由に疑問が大きくなったころ、YouTubeで北海道の観光や移住者の動画を見ることが多くなりました。
自分が生まれ育った北海道なのに、いいなと思ってしまう。綺麗だと思ってしまう。羨ましいと思ってしまう。
なぜだろうか。
それは私が北海道についての良さも悪さも何も知らなかった、知ろうとしなかったからだという結論に至りました。
北海道の移住を決意vsコロナウイルス
2020年1月に北海道への移住を決意しましたが、在職中の引き継ぎや10数年過ごした東京都の身辺整理なども含めて準備が必要ということで、新年度に行動を起こそうと計画をしておりました。
そこで現れた新型コロナウイルスによる影響
転職先の内定が取り消され、私の計画が破綻しかけましたが、何とか代わりの仕事を見つけて少し遅れて移住が出来ることになりました。
まとめ〜本ブログで伝えたいこと
私は北海道の田舎から日本の中心都市である東京で過ごし、北海道へ移住(Uターン)しました。(実際は現在進行形です。)
人によっては、田舎者が東京へ憧れたのに逃げて帰ってきたと思うかもしれません。
実際その通りです。
ですが、大都市東京で過ごしてきたからこそ見えたこと、感じたこと、経験したことがたくさんあります。それらのことは、今の仕事でも大きく役立っております。
本ブログでは、私が最も長く経験してきた音楽業界のことや、地方や北海道への移住、またその逆である東京都に対する思いや考えたなどを皆さまにお伝えすることで、考えるきっかけになればと願っております。
お問い合わせや感想などがございましたら、フォームやツイッターなどでお問い合わせいただけますと幸いです。いただきました内容からも記事を作成したいと考えております。
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まずは、自己紹介から長々と最後までご覧いただきましてありがとうございました!
ゆう@管理人